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テルメネス計画

提供: ApolaTrajectoryWiki

テルメネス計画(英語:Telmenes Space Program)は、第一次宇宙開発競争の時代にエオラム合州国によって行われた宇宙計画。

人類が初めて故郷たるラペアを離れて他天体に降り立った宇宙計画であると同時に、アポラ連星系においても始めて知的生命が母星以外の天体に降り立った宇宙計画です。また予算の都合で限界を迎えて以降の低軌道上で行われた応用計画はのちの国際軌道ステーションへと繋がりました。

背景

時は第一次宇宙開発競争。合州国は焦っていました。三度にわたる文明大戦で打ち負かしたはずの水晶協約に、人類初の人工衛星ラギタネセアⅠの軌道投入、さらには人類初の有人宇宙飛行さえも彼らのメヴィラ計画に先を越されていたのです。

文明大戦の勝者として、そして世界覇権国としての威信を保つため。ある夜、合州国の時の大統領は会見でこう言いました。

「彼らはまだ宇宙に出ただけで喜んでいるが、その程度で我々合州国は納得しない!」

大統領が空を指さし、見えるのはまだ地平線から昇ったばかりの満月。

「われらが向かうべきはあの月だ。十数年以内に確実に合州国の国民をあの場所へ連れて行こうではないか!我々にはできる!」

そうして始まったこの宇宙計画は、古き信仰の神の名前からとって「テルメネス計画」と名付けられました。

プロジェクト

テルメネス計画は、本来22号までが飛行する予定でしたが、予算の問題で切り上げられ、18号までが飛行を行いました。

そのうち、月面に降り立ったのは、重大な事故を起こした11号を除いて、初の月面着陸を成し遂げた9号から18号までです。

テルメネス1号

テルメネス1号は推進系で事故が発生してしまいました。乗組員は全員、安全装置として搭載されていた緊急脱出ロケットで脱出し、無事でした。大部分の原因はココで特定され一掃されました。しかし、この原因特定には見落としがありました。これはのちの11号の重大事故につながります。

テルメネス7号

テルメネス7号が撮影したラペアの写真。

テルメネス7号では、初めて人類はラペアを離れて月に向かいました。よくラペアの画像として用いられる右の写真を撮ったのはこのテルメネス7号です。

テルメネス9号

テルメネス9号では、初めて人類は月に降り立ちました。また世界初の女性飛行士であるヴェリテ・スーチェもこのテルメネス9号に搭乗していました。月面を歩いたヴェリテ・スーチェは月面のエオラムの旗の周りに、私物としてこっそり持ち込んだ万国旗を並べたことで知られます。

彼女はこう残しました。

「ここにエオラム人は居ない。居るのは世界市民だけです。」

この本来はプログラムになかった行動は地上に帰還したのちに、「我々合州国の華々しい宇宙開発競争の勝利宣言に水を刺した」と政府上層部に叱責されたようですが、国民や国際社会からは非常に高く評価されました。

テルメネス9号で撮影された写真。

テルメネス11号

テルメネス11号は打ち上げまでは順調でした。月付近の軌道上で一度計器の異常が確認されましたが、その後目立った異常が確認できないという事態が起こりました。飛行士や宇宙機関の現場スタッフは安全のためミッションを中止することを進言したものの、宇宙機関上層部には政府や国民からの過度に加熱した期待がかかっており、やむなく強行着陸を行いました。

実際に着陸こそ成功したものの、着陸後の確認で通信系・推進系を中心に宇宙機が損傷していることが判明し、地球から24万kmも離れた月から帰還できないという大問題が発生したのです。

当時、世間で流行していたSF映画のシーンに巨大なレーザー銃が登場していました。この再現のために搭載していた巨大な軍用のレーザー銃が奇跡的な解決策につながります。このレーザー銃を活用し、即興でレーザーを用いた誘導装置を作成したのです。

次の打ち上げに使う予定であった予備機を無人状態で打ち上げ、この即席の誘導装置を用いて誘導し、生命維持装置の限界である8日を超える前に救出することに何とか成功しました。この事故をきっかけに、テルメネス計画そのものや宇宙機関の体制等に対して多くの安全に関する見直しなどが入り、のちの宇宙事故の多くを防いだといわれています。

その後

予算で切り上げられたテルメネス計画ですが、本来の19号から22号として計画されていた機体は、以後それぞれ応用計画と題して宇宙ステーションとしての運用がなされました。

テルメネス機動ステーション

テルメネス機動ステーション(元々はテルメネス19号)は最初から搭乗員を搭載して打ち上げ、惑星間移動・軌道間移動に関するデータを集め将来の大型宇宙船の建造に貢献しました。

テルメネス実験ステーション

テルメネス実験ステーション(元々は20号)最初から搭乗員を搭載して打ち上げ、ドッキングポート試験と併せて搭乗員交換を実証しました。また大型の太陽電池は軌道建築の分野で多大な成果を残しました。この機体まで、元居住船はエアロックとして使用されていました。

テルメネス科学ステーション

テルメネス科学ステーション(元々は21号)は、太陽観測用の望遠鏡や地球資源探査装置などの宇宙、天文史に残る成果を残しました。またテルメネス科学ステーションは望遠鏡の周りについている十字型のパネルのシルエットで知られます。

テルメネス国際ステーション

テルメネス国際ステーション(元々は22号)は、元々は居住船部分であった部分を多数のドッキングポートを備えたハブモジュールに組み替えて打ち上げられました。この機体は時代背景として国際社会の多極化、対立構造が雪解けに向かっていたこともあり、軌道上の国際平和の象徴として持ち上がった国際軌道ステーションのハブモジュールとして利用されました。この機体を最後に、テルメネス計画は応用計画までを含めて終わりを迎えました。