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'''ゴント・ラケトスコ''' ([[ロトン語]]: '''''Gont Laketosko''''') は、[[グランヴェント帝国]]の科学者、ロケットなどの宇宙工学の研究者。
'''ゴント・ラケトスコ''' ([[ロトン語]]: '''''Gont Laketosko''''') は、[[グランヴェント帝国]]の科学者、ロケットなどの宇宙工学の研究者。
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=== 研究者時代 ===
=== 研究者時代 ===
2992年、28歳になり彼はグラックザード大学の物理学科へと入学した彼は、師であり熱力学の第一人者である[[ヘルミン卿]]の教鞭の元メキメキと成長していった。
2992年、28歳になり彼はグラックザード大学の物理学科へと入学した彼は、師であり熱力学の第一人者である[[ヘルミン卿]]の指導を受けることとなった。大学での研究生活は決して平たんなものではなく、実験中の事故や生活上のトラブルが相次いだ。入学からわずか2年目で実験中の火災事故で賃貸住居を失い、一時期は大学の敷地内に仮設の布でテントを張って生活するなど困窮状態に陥っていた。


しかし、彼は研究に没頭するあまり自身の生活を顧みないことが多々あった。実家からの仕送りも食事ではなく、実験に使う化学試料や教本のために使い切っていた。そして日夜研究をしていたある日、三徹の状態でアルコールランプをひっくり返して貸家を燃やしてしまう。貸家から追い出された彼は、それでも研究をするために大学の敷地内に仮設の布でテントを張り始め、住み始めた。のちの回顧録でこの時の中庭の野草を調理して食うのは悪くなかったと残している。
状況を見かねたヘルミン卿の尽力で、どうにか大学内の研究室を住居として使用することが承認された。しかし、頻発する実験事故のため複数の研究室を転々とすることとなった。ある時期には研究室の壁にポータレッジを設置して就寝するという奇策も試みたが、安全上の問題から撤去を余儀なくされた。その後もラケトスコは大学の屋根裏や中庭の樹上など様々な場所を転々としながらも、研究活動を継続した。困窮していると言っても差し支えない生活を送りながらも、彼の研究は着実に進展していった。


この散々たる生活を見かねたヘルミン卿は、知人の研究者に頼み込んで研究室を貸し出しを取り付けた。結果、ラケトスコは野宿生活を免れることに成功した。しかし、彼の研究はしばしばボヤ騒ぎや爆発を起こすことから、年々次第に部屋を貸し出してくれる人が居なくなっていった。ある時、知人の研究室を追い出されると「研究『室』に住まなければいいんだな」と言い、彼は壁にポータレッジを張り付けて研究生活を行った。半年ほど続けた末、ポータレッジが定期的に落下して片付けが面倒という理由でついに部屋を追い出される。あまりの研究一点集中ぶりと定期的に人間に衝突するその様から、自然発火する黄リンになぞらえて「黄燐の心臓」としばしば揶揄されていた。
3042年、78歳になり、研究者として熟練になったころ、ようやくその壮絶な研究が実を結んだ。彼はラケトスコ方程式<ref>現実世界でいうところの [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%BC%8F ツィオルコフスキーの公式]のこと。</ref>を発表した。同年、多段式ロケットや軌道エレベータなどを含め、多くの理論をまとめたものを「'''力学的作用を応用した宇宙空間移動装置について'''」という論文にまとめ上げた。この論文は宇宙工学の基礎を確立する画期的な成果として高く評価され、その原本は現在も[[帝国科学博物館]]に丁重に保管されている。


その後も屋根裏や大学の中庭の樹の上などを転々としながら、黒パンと水だけという食事も頻繁な状態であっても、手から研究を離すことはなかった。
以降、大戦期に入るまでグラックザード大学にて理学・工学の博士として教鞭をふるった。


3042年、78歳になり、研究者として熟練になったころ、ようやくその壮絶な研究が実を結んだ。彼はラケトスコ方程式<ref>現実世界でいうところの [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%85%AC%E5%BC%8F ツィオルコフスキーの公式]のこと。</ref>を発表した。そして多段式ロケットや軌道エレベータなどを含め、多くの理論をまとめたものを「'''力学的作用を応用した宇宙空間移動装置について'''」という論文して発表した。この論文は現在でも宇宙工学の聖典のような扱いを受けており、原本は[[帝国科学博物館]]に丁重に保管されている。
=== 文明大戦期 ===
世界情勢が荒れ始め[[文明大戦]]が勃発すると、世界は新兵器の開発に躍起になっていた。ラケトスコ博士もその工学の知識を買われ、兵器設計に携わってほしいと帝国政府側から要請を受けていた。最初兵器設計を彼は頑なに拒み、向かってきた職員に向けて化学を用いて攻撃をするなど頑強に抵抗するため、政府側は「ラケトスコの成し遂げたい研究のうち、一つが叶うまで応援をすることを約束する」という約束事を交わした。この取引を引き出した翌日から、博士は別人のように協力的になったという記録が残っている。
 
ラケトスコ博士は大戦期、従来のレシプロ機と比較にならないほど高速に飛行するロケットエンジンを用いた航空機の設計に携わった。
 
大戦後期の3092年、128歳のラケトスコ博士は液体燃料ロケットについての研究を引き続き続けていた中、[[エオラム合州国]]の打ち上げた飛ばした試験兵器[[D-2 (兵器)|D-2]]が大気圏の壁を突破した。


=== 文明大戦期 ===
=== 帝国宇宙機関期 ===
=== 帝国宇宙機関期 ===
<blockquote>この行く末を見届けられないのが唯一の心残りだが、弟子に、そしてさらに教えを乞うであろう者たちにこう残す。<br>人類よ、未来は開かれた。</blockquote>
<blockquote>この行く末を見届けられないのが唯一の心残りだが、弟子に、そしてさらに教えを乞うであろう者たちにこう残す。<br>人類よ、未来は開かれた。</blockquote>
== 死後・影響 ==
== 死後・影響 ==
== 人物像・逸話 ==
=== 異常な研究への執着と生活習慣 ===
ラケトスコは研究に没頭するあまり自身の生活を顧みないことが多々あった。彼は実家からの仕送りも食事ではなく実験に使う化学試料や教本のために充てるほどで、「パンと水があれば死にはしない、十分だ。」という姿勢を貫き、最低限の生活すら二の次にしてしまう徹底ぶりであった。大学時代には不眠不休で研究に没頭することも珍しくなく、それ故に事故などが絶えなかった。回顧録では火災事故で賃貸住居を失ったことについても「紙とペンと灯りがあれば、研究が出来ればどこだって良かった。」と残している。
この他、研究室から追い出された際に「研究『室』に住まなければいいんだな」と言って壁にポータレッジを設置したエピソードなども含め、研究を続けるためならば明確に禁止されていなければ手段を選ばない彼の研究への情熱が伺えるエピソードは枚挙に暇がない。
住居を失っていた期間で食べた野草の食味についても冷静に論評した細かい記録が残っているように、彼は常に手帳と青いインクのペンを持ち歩いていた。また考え事をするときは意味もなく歩き回ったり走り回ったりしながら考えることも多く、独り言を日夜つぶやきながらメモし続けている姿は、同僚から「妖怪」と揶揄されたとも回顧録で語っている。
また、彼は起床時「光合成をする」と言い放ち日光を浴びる習慣があり、朝の大学の屋上で上裸で瞑想していた。この強烈な習慣は、大学を訪れた多くの者が記憶に残ったと証言している。
=== 文明大戦期の逸話 ===
彼は特に意味もなく「自身の研究が邪魔される」ことを嫌った為、文明大戦期の兵器開発の政府要請を頑なに断っていた。無理に突破しようとする政府職員にはピラニア酸に手羽先を突っ込んだものを見せ、「次はお前だ」と言い放ったほどである。ほかにもマットに雷銀を含ませて踏ませようとしたり、とにかく自身の研究が邪魔されることを嫌がった。結果政府側が折れ「ラケトスコの成し遂げたい研究のうち、一つが叶うまで応援をすることを約束する」という約束事を交わした。この取引を引き出した翌日から、博士はまるで別人のように協力的になり、一週間後には構想でしかなかったロケットエンジンの設計概要を政府に提出してきたという記録が残っている。
合州国の試作兵器であるD-2が大気圏を突破して飛行した一報を聞いたときには、三日三晩悔しがりながら怒り狂い暴れまわったと言われている。
=== 対人関係 ===
研究に没頭するあまり人間関係でも度々衝突を起こすラケトスコは、同僚からはその予測不能な行動と情熱的な気質を、自然発火する黄リンになぞらえて「黄燐の心臓」と呼ばれていた。しかし師たるヘルミン卿との関係は特別な信頼関係にあった。ヘルミン卿はラケトスコのその異常なまでの研究への情熱を見抜いており、奇行と言っても問題ないような行動の数々にも理解を示した数少ない人物であった。
=== 哲学と信条 ===
彼は後輩が行き詰まったときに「今日の理論は、明日には現実になり、明後日には『当然』になる。だから諦めるな。」とよく言い残していた。基本的に彼は「諦める」ということが理解できない質であり、気軽に諦める人間に対して「なぜ諦めるのか」を強く理詰めする傾向にあった。ちなみに彼の残したこの「今日の理論は、明日には現実になり、明後日には『当然』になる。」は現在でも[[帝国宇宙機関]]のモットーとして使われている。


== Apola Trajectory 世界観作品での登場 ==
== Apola Trajectory 世界観作品での登場 ==
[[Apola Trajectory]]の世界観では世界観を形作る最初の人物、いわゆる始祖のような扱い。この空に憧れたたった一人の男から物語は動き出した。
[[Apola Trajectory]]の世界観では世界観を形作る最初の人物、いわゆる始祖のような扱い。この空に憧れたたった一人の男から物語は動き出した。
* [[Apola Trajectory (小説)]]第一章に登場。
* [[Apola Trajectory (小説)]]第一章に登場。

2025年3月23日 (日) 00:48時点における最新版

ゴント・ラケトスコ
Gont Laketosko
基本情報
生年月日 2964年
出身地 グランヴェント帝国 グランヴェント帝国
没年月日 3118年 (154歳)
国籍 グランヴェント帝国 グランヴェント帝国
民族 イーレ系民族
キャリア情報
職業 学者 (博士)
著名な実績 ラケトスコ方程式の発見
研究活動
研究分野 ロケット工学
所属研究機関 帝国宇宙機関


ゴント・ラケトスコ (ロトン語: Gont Laketosko) は、グランヴェント帝国の科学者、ロケットなどの宇宙工学の研究者。

生涯

幼少期

2964年、グランヴェント帝国郊外の農村にて火薬製造業者の夫妻の息子としてラケトスコは生まれた。幼少の時から化学に対する関心が非常に高く、父親の扱う火薬に対して非常に高い関心があった。

2982年、16歳の時に父親の火薬を製法をまねて作った黒色火薬粉末で裏山を燃やした。この森林火災は大規模で、結果として以降ラケトスコはいじめにあい学校に通うことをやめた。以降、過酷ないじめへの報復を行うため、彼は化学へ傾倒していった。

数年後、独学で製造したダイナマイト爆薬を用いて学校を爆破しようと試みた。しかし、この時の爆薬は自宅の手製実験器具で作っていたため純度が不十分であり火災騒ぎで終わった。この一件を見た父親は、ラケトスコに化学の才能があることを確信し、彼を大学へ進学することを勧めた。父親の助言に従い、彼はグランヴェント帝国の名門校であるグラックザード大学の化学科を目指すこととなる。

大学へ入学するための独学の期間の中で、彼が出会ったのがアリー・ヴェルネの著した「星海放浪記」である。このまだ人類が訪れていない「宇宙」へと旅をするという物語は彼に衝撃を与えた。彼はこの物語に熱中し、次第に物理学についても関心を示すようになる。そうして、彼の目標は化学者からまだ存在しない「宇宙工学者」へと変わっていった。

研究者時代

2992年、28歳になり彼はグラックザード大学の物理学科へと入学した彼は、師であり熱力学の第一人者であるヘルミン卿の指導を受けることとなった。大学での研究生活は決して平たんなものではなく、実験中の事故や生活上のトラブルが相次いだ。入学からわずか2年目で実験中の火災事故で賃貸住居を失い、一時期は大学の敷地内に仮設の布でテントを張って生活するなど困窮状態に陥っていた。

状況を見かねたヘルミン卿の尽力で、どうにか大学内の研究室を住居として使用することが承認された。しかし、頻発する実験事故のため複数の研究室を転々とすることとなった。ある時期には研究室の壁にポータレッジを設置して就寝するという奇策も試みたが、安全上の問題から撤去を余儀なくされた。その後もラケトスコは大学の屋根裏や中庭の樹上など様々な場所を転々としながらも、研究活動を継続した。困窮していると言っても差し支えない生活を送りながらも、彼の研究は着実に進展していった。

3042年、78歳になり、研究者として熟練になったころ、ようやくその壮絶な研究が実を結んだ。彼はラケトスコ方程式[1]を発表した。同年、多段式ロケットや軌道エレベータなどを含め、多くの理論をまとめたものを「力学的作用を応用した宇宙空間移動装置について」という論文にまとめ上げた。この論文は宇宙工学の基礎を確立する画期的な成果として高く評価され、その原本は現在も帝国科学博物館に丁重に保管されている。

以降、大戦期に入るまでグラックザード大学にて理学・工学の博士として教鞭をふるった。

文明大戦期

世界情勢が荒れ始め文明大戦が勃発すると、世界は新兵器の開発に躍起になっていた。ラケトスコ博士もその工学の知識を買われ、兵器設計に携わってほしいと帝国政府側から要請を受けていた。最初兵器設計を彼は頑なに拒み、向かってきた職員に向けて化学を用いて攻撃をするなど頑強に抵抗するため、政府側は「ラケトスコの成し遂げたい研究のうち、一つが叶うまで応援をすることを約束する」という約束事を交わした。この取引を引き出した翌日から、博士は別人のように協力的になったという記録が残っている。

ラケトスコ博士は大戦期、従来のレシプロ機と比較にならないほど高速に飛行するロケットエンジンを用いた航空機の設計に携わった。

大戦後期の3092年、128歳のラケトスコ博士は液体燃料ロケットについての研究を引き続き続けていた中、エオラム合州国の打ち上げた飛ばした試験兵器D-2が大気圏の壁を突破した。

帝国宇宙機関期

この行く末を見届けられないのが唯一の心残りだが、弟子に、そしてさらに教えを乞うであろう者たちにこう残す。
人類よ、未来は開かれた。

死後・影響

人物像・逸話

異常な研究への執着と生活習慣

ラケトスコは研究に没頭するあまり自身の生活を顧みないことが多々あった。彼は実家からの仕送りも食事ではなく実験に使う化学試料や教本のために充てるほどで、「パンと水があれば死にはしない、十分だ。」という姿勢を貫き、最低限の生活すら二の次にしてしまう徹底ぶりであった。大学時代には不眠不休で研究に没頭することも珍しくなく、それ故に事故などが絶えなかった。回顧録では火災事故で賃貸住居を失ったことについても「紙とペンと灯りがあれば、研究が出来ればどこだって良かった。」と残している。

この他、研究室から追い出された際に「研究『室』に住まなければいいんだな」と言って壁にポータレッジを設置したエピソードなども含め、研究を続けるためならば明確に禁止されていなければ手段を選ばない彼の研究への情熱が伺えるエピソードは枚挙に暇がない。

住居を失っていた期間で食べた野草の食味についても冷静に論評した細かい記録が残っているように、彼は常に手帳と青いインクのペンを持ち歩いていた。また考え事をするときは意味もなく歩き回ったり走り回ったりしながら考えることも多く、独り言を日夜つぶやきながらメモし続けている姿は、同僚から「妖怪」と揶揄されたとも回顧録で語っている。

また、彼は起床時「光合成をする」と言い放ち日光を浴びる習慣があり、朝の大学の屋上で上裸で瞑想していた。この強烈な習慣は、大学を訪れた多くの者が記憶に残ったと証言している。

文明大戦期の逸話

彼は特に意味もなく「自身の研究が邪魔される」ことを嫌った為、文明大戦期の兵器開発の政府要請を頑なに断っていた。無理に突破しようとする政府職員にはピラニア酸に手羽先を突っ込んだものを見せ、「次はお前だ」と言い放ったほどである。ほかにもマットに雷銀を含ませて踏ませようとしたり、とにかく自身の研究が邪魔されることを嫌がった。結果政府側が折れ「ラケトスコの成し遂げたい研究のうち、一つが叶うまで応援をすることを約束する」という約束事を交わした。この取引を引き出した翌日から、博士はまるで別人のように協力的になり、一週間後には構想でしかなかったロケットエンジンの設計概要を政府に提出してきたという記録が残っている。

合州国の試作兵器であるD-2が大気圏を突破して飛行した一報を聞いたときには、三日三晩悔しがりながら怒り狂い暴れまわったと言われている。

対人関係

研究に没頭するあまり人間関係でも度々衝突を起こすラケトスコは、同僚からはその予測不能な行動と情熱的な気質を、自然発火する黄リンになぞらえて「黄燐の心臓」と呼ばれていた。しかし師たるヘルミン卿との関係は特別な信頼関係にあった。ヘルミン卿はラケトスコのその異常なまでの研究への情熱を見抜いており、奇行と言っても問題ないような行動の数々にも理解を示した数少ない人物であった。

哲学と信条

彼は後輩が行き詰まったときに「今日の理論は、明日には現実になり、明後日には『当然』になる。だから諦めるな。」とよく言い残していた。基本的に彼は「諦める」ということが理解できない質であり、気軽に諦める人間に対して「なぜ諦めるのか」を強く理詰めする傾向にあった。ちなみに彼の残したこの「今日の理論は、明日には現実になり、明後日には『当然』になる。」は現在でも帝国宇宙機関のモットーとして使われている。

Apola Trajectory 世界観作品での登場

Apola Trajectoryの世界観では世界観を形作る最初の人物、いわゆる始祖のような扱い。この空に憧れたたった一人の男から物語は動き出した。

  1. 現実世界でいうところの ツィオルコフスキーの公式のこと。