第一次宇宙開発競争
第一次宇宙開発競争とは、第三次文明大戦後にエオラム合州国(合州国)とグランヴェント帝国(帝国)の間で宇宙開発をめぐって行われた武器を交えない競争のこと。3118年から3140年までの22年の間、両国それぞれが人工衛星、探査機を宇宙へ送り、月に人間を立たせるために競った。
3118年のラギタネセア計画でF-6ロケットにより打ち上げられたラギタネセア1号から始まり、3140年のテルメネス計画、テルメネス9号で人類が初めて月に降り立ったところまでを指す。
最初のビープ、最期の言葉
3096年に終戦した第三次文明大戦で、ともに戦った帝国と合州国。戦後すぐの頃はガリット計画など、合州国が戦災で苦しむ帝国を資金援助するなど協力関係にあった。
しかし、ラペア(地球)各地で植民地として支配されていた各地域にて独立運動が高まると両国の関係に亀裂が入るようになっていった。特に植民地の扱いを巡っては世界連合の場で激しく対立することもあった。3104年に起きたナグラダ共和国の帝国植民地からの独立に関しては両国が直接介入することは無かったが、武器・資金・顧問提供などを通じた代理戦争が起こっていた。
また、帝国にはある懸念があった。それは大戦末期に合州国が秘密兵器として利用し、猛威をふるった大陸間弾道ミサイル「D-2」である。帝国は自国に万が一でもこれが差し向けられた時に対抗することが出来ないことは問題だと考えていた。これを受けて帝国は秘密裏に国家機関「帝国宇宙機関(GAVK)」を新設し、ロケットの研究開発を急いだ。
一方、合州国の空軍所轄の宇宙機関であるエオラム空軍軌道研究科学局(LOVO)はとある問題を抱えていた。それは、軌道投入可能なロケットの作成が遅れていることであった。というのも、まずLOVOは当時まだ空軍の所轄であったため、基本的に軍事目的の攻撃ミサイルの設計が最優先になっていたこと。そしてLOVOへの予算配分や議会のバックボーンは、それを補強するように軍産複合体からの応援で成り立っており、彼らが大戦時のD-2の成功に固執してICBMにとらわれたことで関連技術の研究が進んでいなかったことが挙げられる。当時のLOVOの要職であり、D-2ミサイルの設計にもかかわっていた「合州国の宇宙開発の父」であるロンナー・ドローブは後に「合州国内の官僚機構が計画を遅れさせた」とも残している。
帝国の宇宙開発を率いるGAVKは完全に新設の機関であったため、官僚などのしがらみがなく意思決定が迅速であった事、ロケット工学の父祖であるゴント・ラケトスコ博士と愛弟子であるゲール・ブレフェの二名が積極的にリーダーシップをとりながら「周回軌道投入」という目標をブラさなかったことなど色々な説はあるが、結論から言えばロケット設計・開発は順調に進んだ。またこれに加えて帝国保安情報局が優秀であり、合州国からの情報を抜き取ることに成功したことも重要な要因であったとされている。
何度も試作を重ね、ついに3118年にグランヴェント帝国はF-6(フェル・ズィース)ロケットで「ラギタネセア1号」の軌道投入に成功した。ビープ音は病床に伏すラケトスコ博士の耳にラジオを通じて届いた。そして彼はこう残した。
この行く末を見届けられないのが唯一の心残りだが、弟子に、そしてさらに教えを乞うであろう者たちにこう残す。
人類よ、未来は開かれた。
ちなみに博士は既に持病が深刻な段階まで進んでおり、余命わずかと宣告されていた。この軌道投入の知らせまでの間に博士は急に最期の命を燃やすように、多くの未来の宇宙開発に関するアイデアを残していた。ここにはのちの月面着陸・他天体開発や軌道エレベータ等の宇宙インフラ概念の提唱などが冊子に残されている。そしてそれらを残して数か月、ついに病状が悪化し亡くなった。死後、帝国、そして人類として重要・偉大な学者として帝国により国葬された。
このラギタネセア計画の一件を受けて、合州国では新聞などのメディアが煽ったこともあり国内世論が沸騰した。「どうして帝国が先に?」「後進的な帝国にどうして我々が負けたのか?」と公聴会が開かれる騒ぎとなった。見かねた合州国政府はLOVOの組織改革を急ぎ、LOVOを空軍の一部から国家宇宙機関に格上げすることを急ぐこととなった。
最初の一人
ラケトスコ博士の死後、残された大量の今後の宇宙開発について記されたアイデアとともにブレフェ博士がGAVKを引き継いだ。そして有人宇宙船の周回軌道投入へとフェーズは移行していった。まず最初に、既存の生物の個体として小さな愛玩動物であるモルモット「グラム」が3119年に打ち上げられ、その後知的生命体のサンプルとしてライカの「ネーク」が3121年に打ち上げられた。
積み重ねた技術に勢いづいた帝国は、開発されたロケットを応用して開発したF-8ロケットにより、4年後の3122年にラギタネセア6号では最初の有人飛行にこぎつけた。ラペア初の宇宙飛行士であるイーリク・ハートフは手記でこう残している。
世界は想像していたよりも小さく、孤独だった。
一方で遅れていた合州国であったが、ロンナー・ドローブ主任の活躍により、ラギタネセア計画の裏で行われていたクルーファパス計画にてフローバス1号が合州国初の探査機として軌道を周回した。
その後有人宇宙計画を実現するため、合州国はジーニット計画にて初の宇宙飛行士エール・クレイが周回軌道を飛行した。
さらに、ジーニット計画の次であるドレイオット計画では三人を同時に宇宙へと送り出すことに成功しており、空軍上がりの操縦士であるエール・クレイ、天文学者であるゼルム・ゲーディング、そしてテルメネス計画の設計にも後に参加するロケットエンジニアのグラニ・アルゲーの三名が飛行した。合州国はこれらの計画によって、着実に後のテルメネス計画に通じる準備が進みつつあった。
全人類を巻き込んだレースを
立て続けに偉業を達成する帝国。3130年、時の合州国大統領は、LOVOの近年収めた成果を見たうえで覚悟を決め、ついに帝国に向けて挑戦状を送るかのようにこう言った。
全人類を巻き込む壮大なレースをしよう。世界でどの国が最初にあの月を捕るだろうか?
両国の国民ともが個の熱狂にあてられ、自国の成功を「国の威信」として宇宙開発を熱狂的に支持した。翌3131年、合州国は「宇宙開発特別予算法」を可決。これによりLOVOの予算は前年の三倍となり、本格的な月面着陸に向けた取り組みが始まった。もとより月を目指そうとしていた帝国のラギタネセア計画の後継であるブレフェ主任率いるメヴィラ計画と、それを追い越さんとするドローブ主任率いる合州国のテルメネス計画がほぼ同時に始動し、強烈な競争を開始した。
難航するメヴィラ計画
メヴィラ計画は月軌道上で司令船と着陸船に分離し、着陸船のみが月面に降下。月面活動後は離陸して司令船と再会合するという複雑な方式だった。この方式は技術的には難易度が高いものの、燃料効率に優れていた。また、帝国はF系列ロケットの推力不足を解決するため、新型の高効率エンジン「ハイドロロックス(液体水素/液体酸素)」の開発に着手したが、極低温推進剤の扱いに苦戦することになる。
ドッキングは事前の予見通り複雑な操作であり、その確立に苦戦した。メヴィラ6号では司令船と模擬着陸船の分離に成功するも再会合に失敗。乗組員の機転により最悪の事態は避けられたが、計画の危険性が露呈した形となった。このドッキングや燃料方式の変更という野心的な変更を一気に計画に盛り込んだことが大きな遅延につながり、3135年には開発の遅延が公式に認められた。
加速するテルメネス計画、そして勝利
対となる計画である合州国のテルメネス計画は「直接降下方式」を採用した。これは大型ロケットで打ち上げた宇宙船が月軌道に入り、そのまま着陸、再び月面から直接地球に帰還するという単純明快な方式だった。この方式は燃料効率では劣るものの、分離・ドッキングなどの複雑な操作が少なく信頼性が高いとされた。テルメネス計画は比較的障害はなく順調に進み、10年にわたる宇宙開発競争の末、3140年合州国のテルメネス9号は月の大地を踏んだ。 世界初の月に降り立ち、かつ世界初の女性宇宙飛行士であるヴェリテ・スーチェはこう言った。
ここにはエオラム人しか居ません。この旗が新たな合州国の州の産声です。
私たちに勝ちたければ、旗を持ってここまで来ればいいんじゃない?
合州国政府としては自国の権威を誇示する絶好の機会であった。当初合州国大統領府は「合州国すごいだろ」程度で済ませるつもりだったが、スーチェは思いっきり外国を煽る発言を勝手に付け加えた。この日、テレビ放送でこれを聞いた帝国宇宙機関のブレフェ主任はいつかの恩師と同じように烈火のごとく怒り、よく暴れたという。
帝国の追撃と「旗引き抜き事件」
テルメネス9号の成功後、合州国はテルメネス10号、11号と連続して月面ミッションを実施。しかし、3141年に打ち上げられたテルメネス11号で重大な事故が発生、飛行士たち3名がは奇跡的に命からがらに帰還することになんとか成功した。しかし合州国は対応に追われることとなり、月面計画を一時中断を余儀なくされた。
この隙をついて帝国は月面着陸計画を加速させた。従来型エンジンの改良と燃料効率の最適化により、月面着陸能力を何とか確保。3142年、メヴィラ13号は帝国初の月面着陸に挑んだ。メヴィラ13号は月の「知恵の海」地域に着陸した。パイロットのラルワール・ガイデルと任務専門家のロワルヴェン・リーナは、展開したローバーでテルメネス9号の着陸ポイントにたどり着くと、なんと合州国の旗を引き抜いたのである。
ガイデル:「おい!この旗、色が抜けて真っ白になってるぞ!どこの国かわからん旗だし、回収しなきゃなあ!」
リーナ:「『エオラム人しかいない』とか言ってましたけど。今は誰もいなくなったみたいですね。次はキヤナに旗でも立てますか?ご連絡いただければ幸いです!帝国博物館はまだ展示に空きがありますから。回収料は引き続き無料で承ります!」
このテルメネス9号の旗はあろうことか地球に持ち帰られ、その後、帝国国立博物館で敢えて丁重・厳重に扱われながら展示されることとなった。この「旗引き抜き事件」は両国間の深刻な外交問題へと発展した。合州国政府は「平和目的の科学探査を妨害する行為」として厳しく抗議。帝国側は「風化・漂白された旗は適切に保存する必要があった」と弁明した。こういった両国の政府・飛行士たちの応酬により各国は市民感情を煽られ、宇宙開発競争は一層苛烈な流れとなっていくのであったのである。
こうして第二次宇宙開発競争の時代が幕を開けることとなった。